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2015年01月25日

洗いくまモンの逆襲。

くまモン営業部長.jpg
                                                     「いちおう、公務員です。」

<FB参加記念>アーカイブ・熊本ネタ 人気ナンバー1  (初公開)2013・8・26

洗いくまモンの逆襲。
introducing 「金融腐食列島[呪縛]」「マルサの女」

天守閣の前で、新しいミュージック・ビデオの撮影をやっている最中だった。
熊本県知事の蒲島さんが血相を変えて僕を呼びに来た。僕は仕方なく本丸御殿に戻り、くまモンの着ぐるみを脱ぐと、野菜生活デコポンミックスを飲み干した。すると自分のスマホを手渡しながら知事が言った。「坂本くん、内閣総理大臣が話したいそうだ」

お待たせと僕が言うと、即座に安倍首相が声を上げた。「すぐに東京へ来てもらえないか?」
「何故バレたんだ?」僕は疑いの目で知事を見た。「アルバイトでくまモン演ってるってこと」
「フランス人もモハメド・アリもびっくりというか、切れ味鋭いお茶目な動きを見れば、君だとすぐに判るよ」
「フットワーク軽すぎたかな」
「極めて重大な局面なんだ」悲痛な声で首相が言った。「ボーイング787をチャーターしたよ」
「僕が飛行機恐怖症ってこと忘れたのか!」僕は怒りを押さえて言った。「それにくまモンは九州新幹線全線開業とともに生まれたキャラだぜ。新幹線で行くよ」

僕は自宅に戻ってバッグに着替えをつめ、12時間後に総理執務室の肘掛け椅子に座っていた。
安倍ちゃんはもんモンと悩んで一睡もできなかったようだ。
「予定通り消費税を上げていいかどうか、決断がつかないんだ」
「当たり前だよ。あんたの打ち出した成長戦略だと、くまモン数匹分の経済効果しかないじゃないか。増税した途端に総スカン食うよ、国民から」
「そこで相談だが、くまモンの役を譲ってもらえないか?」
「雲隠れするつもりか! 『チェンジ』のキムタクみたいに」
「お互いにアライグマに似てるし、背丈も血液型も同じだし、半年年下とは言え同学年だし、同じ夢を持ってるだろ、映画監督になるって」
「仁義なきゴッドファーザーなんて撮りたくないね」ウディ・アレン・ファンの僕は反論した。
「着ぐるみで世界中を回る方が楽しいと思うんだ」

「断る」僕は決然と言った。「首相就任直後に助言しただろ。消費税上げるなら、公務員制度改革に着手してからだって」
「忘れたのか? 第1次安倍内閣が挫折した原因。社会保険庁の解体・民営化ができなかったのも、官民人材交流センターが設置できなかったのも、官僚たちのクーデターなんだ」
「やられたら、やり返す。倍返しすればいいじゃないか」
「半沢直樹みたいに?」
「安倍晋三の“倍(べ)”は、倍返しの“倍(べ)”だろ!」

おもむろに僕はバッグから小さな包みを取り出し、手渡した。「ここに来る前にTBSで買って来たんだ」
安倍ちゃんは恐る恐る包みを開けた。「倍返し饅頭?」
「それ食って勇気出せよ。あんたなら必ず改革を成功させるよ、安倍ちゃん」
「そう考えてるのは、君と私だけかも」楽園のリンゴのように饅頭をひとかじりすると、安倍ちゃんが言った。
僕は、彼の肩を叩いて元気づけた。「あんたと、僕と、それに日本国民を忘れちゃいけないね」

ハイホー、マンハッタン坂本です。

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posted by マンハッタン坂本 at 11:00 | Comment(0) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

教祖様なんていらない。

Lotsa buddhas III
Lotsa buddhas III / jeremydeades


<FB参加記念>アーカイブ・熊本ネタ 人気ナンバー2  (初公開)2011・11・19

教祖様なんていらない。
introducing 「日本の黒い夏-冤罪-」「カナリア」

小学校の通学路をぼーっと歩いていると、「麻原大通り」というバス停が目に入った。
なんじゃこりゃぁあ!と「太陽にほえろ!」の松田優作のように心の中で叫んだ僕は、急ぎポールに近づいた。よく見ると「託麻原(たくまばる)大通り」と書いてある。ほっと胸をなで下ろした。

苗字ランキングによると、麻原姓は全国に約600人おり、滋賀県に多いらしい。
本名でもないのに「麻原彰晃」なんて名乗ってオウム真理教を興した松本智津夫は、地下鉄サリン事件を起こし、首謀者としてしょっ引かれ、麻原姓のイメージを極めて悪くした。600人にとっていい迷惑だ。

他人事ではない。全国に約33万5000人もいるとはいえ、オウムの連中に殺害された弁護士一家は坂本姓である。
何よりも頭にくるのは、ウィキペディアで細かく分類されると、僕と松本智津夫とは1955年3月生まれの熊本県出身の人物にくくられる。
麻原姓の人たちと同じくらい迷惑なデータだ。

言っておくけれど、僕はあいつみたいにデブじゃない!

ハイホー、マンハッタン坂本です。

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posted by マンハッタン坂本 at 11:15 | Comment(0) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月11日

聖人は挫折しない。

Mother-Teresa-collage
Mother-Teresa-collage / Peta-de-Aztlan


<FB参加記念>アーカイブ・熊本ネタ 人気ナンバー3  (初公開)2012・1・16

聖人は挫折しない。
introducing 「ベン・ハー」「ブラザー・サン シスター・ムーン」

半世紀前、一度だけ養護老人ホームへ慰問に行ったことがある。黒髪幼愛園の園児だった僕は、そのとき下手くそなダンスを披露した。今思えば歌の方がマシだった。僕の叔父さんのヒット曲ですと言って「上を向いて歩こう」を歌えばよかった。
今でもその老人ホームは健在だが、かつてハンセン病救療院だった。

明治26年(1893年)4月3日、第五高等学校の教授たちに誘われて本妙寺へ出かけた英国人宣教師ハンナ・リデル女史は、桜並木の下で初めてハンセン病者を見る。
これらの病者に対し政府が何も支援しない実情を知り、彼女は私財を投じ、明治28年11月に「回春病院」(Resurection of Hope)を創設する。
明治40年に「らい予防法」が発布されたのも、彼女の提言のお陰である――「日本が駆逐艦一隻の費用を転用すれば、この国のハンセン病問題は解決する」

彼女の姪であるエダ・ハンナ・ライト女史は、日本各地で伝道活動をしていたが、病身のリデルを助けるため熊本に移り住む。76歳で叔母が亡くなったあと、病院長として献身的に救護活動を続ける。
戦時中、日英関係が悪化しスパイ嫌疑を受けながら活動するも、ついに病院を解散させられる。賛美歌を合唱する患者たちを涙ながらに見送る。
戦後、亡命先のオーストラリアから戻った彼女は、80歳の誕生日を目前に死期を感じ、ラジオでメッセージを送る――「全国の療養所の皆さん、神様の良い子供となって下さい」

1979年にノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ(Blessed Mother Teresa of Calcutta)も、ハンセン病者のために「平和の村」(Town of Peace)を設立している。

ハイホー、マンハッタン坂本です。

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posted by マンハッタン坂本 at 16:00 | Comment(1) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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