INFORMATION INFORMATION

2010年12月04日

短編小説「夕暮れどきの女たち」

短編小説「夕暮れどきの女たち」
Pict by enamic5

  夕暮れどきの女たち

 二人が待ち合わせるのは決まってホテルのロビーだった。お互いの仕事場から近いせいもあるが、何よりもそのくつろいだ雰囲気が好きだからである。たとえその日の予定が決まってなくても、二人して安楽椅子にすわりのんびりと考えてられたし、時間がなければそのまま中のレストランで食事をする手もあった。
 崇はわざとホテルの裏口から入り、バーのある細い通路を通って、ロビーの見えるラウンジの前まで来た。勢津子に見つからないようゆっくり歩を進めていくと、柱のかげに正面玄関を向いて立っている彼女のうしろ姿が見えた。四月でも肌寒いせいか黄色のカーディガンをはおっている。
「やあ」と崇は小走りに近づき、彼女の耳元にささやいた。即座に勢津子は振り返ったが、半分あきれたという顔で微笑んでいる。「どうやら間に合った?」
「五分遅れよ」と勢津子は時計を見ずに言った。
「五分遅れ? どうして」
「五時半の約束だったわ」
「そりゃ初耳だ」崇はとぼけた顔をした。「そんな約束した? この僕が?」
 勢津子は肩をすくめ、正面玄関に向かって歩き出した。
「いいかい」崇は彼女の手をそっと握った。「僕が何時に来ても君はここでちゃんと待ってる。伝書鳩のようにね。二人が出会うとき、それが僕らの約束の時間なんだ。」と言った。「そうだろ?」
 二人が二重の自動ドアを通り外に出たとき、向かいのビルのガラス窓にあたった残照の照り返しがまぶしく光っていた。中が暗かったせいか、二人は一瞬目を細めた。すると、赤いレンガ敷きの道を歩いていく黒いワンピースの女が崇の目に入った。やや急いでいるのか、歩幅を大きくし腰を振り子のように揺らしながら進んでいく。女は信号が赤に変わる直前に横断歩道にたどり着き、そそくさと渡っていった。
 はじめのうち崇はその様子をぼんやりと見ていたが、突然古い記憶を呼び覚まされ心臓がドキッとした。七年前に似たような光景を目にしていたからだ。あの時彼女は仕事の打ち合わせがあるからと言って、崇を残したままホテルの前から駆け出し横断歩道の前でタクシーを拾ったのだ。同じように夕暮れどきで、同じように黒いワンピースを着ていた。
「誰を見てたの?」二人がレンガ道を歩き出したとき、勢津子が言った。
「誰って?」崇は虚をつかれていた。
「とぼけないで」と勢津子は言った。「渡っていったでしょ?」
「ああ、あれね」崇は間を置いて言った。「名前も知らない女さ。君も見てたの?」
「何だかいとおしそうに見てたわ」
「まさか」
「じゃなかったら、何か遠くを見てたわ。遠い想い出を探るように」
「参ったな」崇は勢津子を見た。「いつの間に読心術を身につけたんだい?」
 勢津子は無理して笑った。「だって心ここにあらずって顔をするんだもの」
「それは夕暮れのせいさ」
「夕暮れ? まだ明るいわ」
「夕暮れどきの女って素敵に見える、てね」
「あきれた」
 二人は意識的に手を握り合い、ホテルの花屋の前を通っていった。行きかう人々の顔が心なしか華やいで見える。やはり土曜日のせいだろうか。
「コンサートが終わったらどこで食事する?」押し黙っている勢津子に向かって陽気に崇が言った。
「そうねえ」勢津子はやっと口を開いた。「やっぱり、セントラル・パークにしようかしら」
「いいね。あそこはいつだってニューヨーク気分だ」崇は勢津子の顔色をうかがった。「で、とりあえず何を飲む?」
「マンハッタン」
「それから壁に貼ってあるミュージカルのポスターを眺めよう。『ニューヨーク・ニューヨーク』『ドリームガールズ』『シカゴ』『フォーティ・セカンド・ストリート』――」
「『エビータ』『キャッツ』『コーラスライン』それに『ソフィスティケーテッド・レイディズ』思い出すわ。グレゴリー・ハインズのタップ・ダンス。とっても素敵だった」
「それから何を食べよう」
「そう。紅マスのソテー・アメリカンにするわ」
「ロースト・ビーフとクレソンのサラダもつけなきゃ」
「ねえ」勢津子は真剣な目で崇を見つめた。「まだ彼女のこと忘れられないの」
「彼女って」と崇は言った。「どの彼女?」
「もちろん七年前に別れた彼女よ」勢津子は努めて無表情に言った。無表情になると顔が魚そっくりになる。
「髪がさらりと長くて、とっても声がきれいで、スタイルがよくて、胸が大きくて――」
「とんでもない」崇は思わず声を上げた。
「ごまかしても無駄よ。あなたのお友達から聞いてるんだから。あいつはいまだに忘れられなくて、影を追い続けてるって」勢津子は言った。「本当なの?」
 崇は観念したように溜息をついた。「確かに思い出すこともある」
「いつも?」
「いつもじゃない」
「じゃ、似てる女に出会うと?」
「いいかい。確かに僕はうじうじと未練がましく彼女を思い出すことがある。でも思い出すだけで、君とは関係ない。昔見てたテレビ番組を思い出して笑うようなものさ。『ブラボー!火星人』とか『奥さまは魔女』とか『宇宙家族ロビンソン』とか――」
「でも比べられるのなんて嫌だわ」
「比べちゃいないさ。君は君だし、今のところ、君より素敵な女の子はいないと思ってる」
「信じられないわ」
 崇は再び溜息をついた。「とにかく、一杯飲みに行こう」
 二人は無言のまま歩き続けた。行きかう人々の華やいだ顔が今度は憎らしく思えてくる。ブティックから流れてくる音楽もむなしく心に響いた。やがてショット・バーの中に入り、胸ほどの高さがあるテーブルの席についた。時間が早いせいか、客はほとんどおらずがらんとしており、カウンターの奥にずらりと並べられたボトルに目をやると、ジャック・ニコルソンの出た「シャイニング」を思い出させた。が、アントニオ・カルロス・ジョビンの軽いボサノバが流れていたため、崇はいくらか落ち着きを取り戻した。
 注文したマンハッタンが運ばれてくるまで、二人はじっと黙っていた。
「ねえ、真面目に話すんだけど」と崇はマンハッタンを一口すすってからおもむろに口を開いた。「すべては夕暮れのせいなんだ。僕は一日の中で夕暮れどきが一番好きなんだ」
「やめてよ。もうすぐ三十だからって」
「本当さ。ちょっと前までは朝の柔らかい日差しが好きだったけど、今は夕暮れと恋仲なんだ。夕暮れにユーミンの古い歌を聴くと気持ちいいし、出来のいいコメディ映画を見終わったあと夕暮れだとうれしくなる。それにこうやって君と一緒にコンサートに行く途中でマンハッタンを飲む。洒落てると思わない?」
「いつもだったらね」
「一度こんなことがあったな」崇は真剣に話していた。「あれはまだ付き合いだしたころで大貫妙子のコンサートの日だったよ。僕が仕事で遅れるからロビーで待っててくれるように言ったら、君はもう始まってるのに、あのキラキラするピラミッド型のライトの下で、すわって待ってた。僕があわてて入っていき、悪かったねって言うと、君は、外がにおうように暗くなってき、みんなが次々と入ってくるのを眺めてたら、ちっとも退屈じゃなかったって、そう言った。憶えてるだろ?」
「ええ、憶えてるわ」と勢津子はマンハッタンの水面に映った自分の顔を眺めながら言った。「でも、夕暮れになると彼女を思い出すのね?」
「そうなんだ」崇はあっさり認めた。「どうしてそんな風になったかは分からないけど、少なくとも夕暮れどきが一日の中でもっとも心地よいと感じ出したころからだと思うんだ。僕は夕暮れの街を歩く。みんなウキウキしてるように見えるし、風がそよいでるとなおさら気分がいい。すると、長い髪をなびかせて歩いていく女に目がとまる。すれ違った女の声が彼女に似てるような気がする。横顔が似てたり歩き方が似てたりすると心臓がドキッとして立ち止まってしまう。だからって、彼女が本当に現れるわけじゃない。彼女がこの街にいるわけがないんだから。ただ、夕暮れどきの女たちを見ると、彼女のことを思い出してしまう。それだけなんだ」
 勢津子はマンハッタンを半分ほど飲み干していた。「私がそばにいてもね」と言った。「そうでしょ?」
「君には悪いと思ってる」
「私だって、七年前の彼女と同じくらい若いのよ。器量だって負けないつもりよ」
「もちろんさ」
「私に言い寄る男は沢山いるのよ」
「君はもてるからね。それが自慢のタネなんだ」
「だったら」勢津子は懇願するように言った。「どうして忘れられないの?」
「きっと……」そう言って崇は口ごもった。
「きっと?」
 崇は勢津子の目をじっと見つめた。お互い見つめ合った。「もっと君のことを」と崇は言った。「想うべきなんだ」
 すると勢津子は思わず目を伏せた。そして所在なげに崇が窓の外に目をやると、彼女も眺めた。いつの間にか陽がかげっており、あたりはにおうように淡い夕暮れがひろがっていた。
 ふいに崇はポケットから手帳を取り出し、ボールペンで何かを書き出した。
「どうしたの?」と勢津子が訊いた。
 崇は顔を上げニヤリと笑った。が、すぐに続きに戻った。書き終わると、ページを丁寧に破り彼女に手渡した。
 勢津子は黙って目を通した。「一番好きなあなたの為」わざと声を出した。「愛をおくろう?」
 崇はもう一度ニヤリと笑った。
「わずかだけ?」伏し目がちに崇を見た。
「もちろん」崇は決然と言った。「毎日これを繰り返すよ」
 するといきなり勢津子はテーブルから立ち上がり、外に出た。崇はあわててレジで勘定を払い、彼女のあとを追った。いやに急ぎ足で歩いている。
「ねえ、どうしたんだい」崇は勢津子に追いつきそう言った。「何を急いでいるんだい?」
「タクシーに乗るのよ。国道に出て」
「タクシー?」崇は驚いた。「まだ歩いて間に合うよ」
「だって」勢津子は崇を振り向かずに言った。「早く行ってみんなが入ってくるのを見たいもの」                                                                                                                                    
                                                                  (了)

「頬に夜の灯」(歌:吉田美奈子)



 以上が、1987年に書き出し、1988年11月に完成した長編処女小説「玲子に捧ぐ・1984」に挿入された短編である。
 本編の出来の悪さはともかく、序文とこの短編だけは繰り返し読むに耐えられる文章になっている、と自負している。
 主人公がこの短編を書いた動機は、1984年に死去した尊敬すべきアメリカの作家アーウィン・ショーへのオマージュである。
 ちなみに、この短編小説の舞台は福岡市中央区。1984年の西鉄グランド・ホテル、天神西通り、そして目的地は今は亡き郵便貯金ホール。                                                                                           
                                                  (文責“マンハッタン”坂本 亮)



「シャイニング」(監督:スタンリー・キューブリック)
アメリカ映画 1980年製作 原題:The Shining
原作:スティーヴン・キング
シャイニング [Blu-ray]
シャイニング [Blu-ray]
posted with amazlet at 10.12.01
ワーナー・ホーム・ビデオ (2010-04-21)
売り上げランキング: 1646

メーカー:ワーナー・ホーム・ビデオ
メディア:Blu-ray


アントニオ・カルロス・ジョビン「波」
波
posted with amazlet at 10.12.01
アントニオ・カルロス・ジョビン
ユニバーサル ミュージック クラシック (2003-04-23)
売り上げランキング: 24759

レーベル:ユニバーサル・ミュージック・クラシック
メディア:CD

「ドリームガールズ」(監督:ビル・コンドン)
アメリカ映画 2006年製作 原題:Dremgirls
米アカデミー賞助演女優賞(ジェニファー・ハドソン)、音響編集賞受賞
ゴールデングローブ賞作品賞、助演男優賞、助演女優賞受賞
ドリームガールズ スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン (2008-07-25)
売り上げランキング: 12421

メーカー:パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
メディア:DVD


「シカゴ」(監督:ロブ・マーシャル)
アメリカ映画 2002年製作 原題:Chicago
米アカデミー賞作品賞、助演女優賞(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)、
美術賞、衣装デザイン賞、音響賞、編集賞受賞
ゴールデングローブ賞作品賞、主演男優賞、主演女優賞受賞
シカゴ [Blu-ray]
シカゴ [Blu-ray]
posted with amazlet at 10.12.01
Happinet(SB)(D) (2009-12-18)
売り上げランキング: 13653

メーカー:ハピネット
メディア:Blu-ray


「エビータ」(監督:アラン・パーカー)
アメリカ映画 1996年製作 原題:Evita
音楽:アンドリュー・ロイド・ウェバー
米アカデミー賞歌曲賞(You Must Love Me)
ゴールデングローブ賞作品賞、主演女優賞(マドンナ)、主題歌賞受賞
エビータ [DVD]
エビータ [DVD]
posted with amazlet at 10.12.01
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン (2007-11-22)
売り上げランキング: 1728

メーカー:パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
メディア:DVD


「キャッツ」(監督:ディヴィット・マレット)
ロンドン公演オリジナル・キャストDVD 1998年製作 原題:Cats
音楽:アンドリュー・ロイド=ウェバー
トニー賞作品賞ほか、全7部門受賞
キャッツ スペシャル・エディション [DVD]
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン (2005-08-26)
売り上げランキング: 17636

メーカー:ジェネオン・ユニバーサル
メディア:DVD


「コーラスライン」(監督:リチャード・アッテンボロー)
アメリカ映画 1985年製作 原題:A Chorus Line
コーラスライン [DVD]
コーラスライン [DVD]
posted with amazlet at 10.12.01
東北新社 (2001-10-25)
売り上げランキング: 47266

メーカー:東北新社
メディア:DVD



マンハッタン坂本のシネマワンダーランドが気にいった!
そんな方は、一票お願いします→ 人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ
posted by マンハッタン坂本 at 00:00 | Comment(0) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:



×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。