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2011年04月15日

「ボローニャさるく」で行こう!

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「ボローニャさるく」で行こう!
 introducing 「父と暮せば」「キネマの天地」

都会大好きの僕は、当然のことながら映画の影響で、ニューヨークやロンドンやパリ、そしてウィーンに憧れる。イタリアならローマだ。
そんな僕が読んだ本の影響で、すべてを見てみたいと思ったのは、人口38万の古都ボローニャだけである。

アッシネッリ家とガリゼンダ家の塔、サン・ドメニコ聖堂、産業博物館は定番。
パッケージングバレーと呼ばれる世界有数の包装機械を備えた工場をいろいろ見たい。
だが何と言っても、建物、歩道、広場、柱廊から成る市街地を「さるく」(熊本弁で「歩いて回る」)のがいい。
ちなみに、イタリア語で<街歩き>をパツセツジャータという。

映画界にとってボローニャの最大の魅力は、フィルム修復と保存に関して世界一の複合施設「チネチカ」があることだ。ここで世界中の多くの名作映画が甦っている。
しかも図書館には、2万冊の映画専門書、20万点のポスターとパンフレット、70万点の資料が収められている。5万本の映画を無料で見ることもできる。

ハイホー、マンハッタン坂本です。

イタリアの自治都市ボローニャの魅力は、井上ひさし氏の「ボローニャ紀行」を読めば大体分かる。

1088年に創立されたヨーロッパ最古の総合大学、ボローニャ大学がある。卒業生に、詩人のダンテ・アリギエールやフランチェスコ・ペトラルカ、天文学者のニコラウス・コペルニクスやガリレオ・ガリレイなど世界史の教科書に出てくる有名人が沢山いる。

ボローニャ仕立ての洋服や靴で正装したベニート・ムッソリーニと会談したアドルフ・ヒトラーは、彼の恰好が気に入り、ナチス党制服などのデザインをすべてボローニャに発注したことがある。
しかしながら、のちにナチス・ドイツ軍とイタリア・ファシスト軍団の征服から自力で街を開放した。パルチザンとしてレジスタンスに参加した市民は1万7200名、そのうち2064名が銃殺刑を含め戦死した。

ティーバッグと薬品の充填包装システム機械では世界一の「IMA社」がある。世界一のワイシャツの店「フライ」がある。世界一の規模と質を誇るリハビリ施設を有するスポーツ・センターがある。などなど。
  (注釈1)


ボローニャを敬愛した井上ひさしの本業は戯曲家である。
かつてイタリア語に翻訳された「父と暮せば」の舞台がボローニャを含め二十都市で上演する計画があったが、いまだ実現していない。


1948年・夏、原爆投下後の広島。図書館に勤める23歳の美津江(宮沢りえ)は、どんどろさん(雷)の音に怯えて我が家へ駆け込む。ピカ(原爆)の爆発みたいに感じるからだ。
すると押入れから、お父ったんの竹造(原田芳雄)の呼ぶ声が聞こえる。

「うちは幸せになったら、いけんのじゃ」

美津江は、お父ったんに向かって頑なにそう言い放つ。
恋の応援団長を自称する竹造は、原爆関係の資料を探しに木下(浅野忠信)くんが図書館を訪ねてきたとき、お前が彼にときめいたからあの世からわしが甦ったんだ、と言う。
木下くんが饅頭をくれたのも、昔話を集めるのが好きなことを知って原爆資料をもとに被爆体験の話を作ってくれと言い出したのも、お前が好意を持っているからだと主張する。

彼のことは迷惑に思っていると抵抗し続ける美津江も、次第に自分の気持に素直になる。木下が集めた原爆の遺品や資料を預かることを承諾する。
だが彼女は、はっと気づく。本当は、お父ったんに申し訳ない! 置き去りにして逃げたから。

お前は俺に生かされてる、被爆体験を後世に伝える義務がある、と竹造が励ます。
やっと美津江は、生きる意味を見出す。ありがとうと言ってお父ったんを見送る。
  (注釈2)



「キネマの天地」は、サイレントからトーキーへ移行する頃の松竹キネマ蒲田撮影所時代の話である。
井上ひさし自身が書いた戯曲とは内容がまったく違うが、木下恵介監督の愛弟子である山田太一らと共に脚本に参加した。

演出部に所属し小倉監督(すまけい)の下で修業する島田(中井貴一)は、監督がスカウトしてきた小春(有森也実)の住む長屋を訪ね、戻ってくるよう説得する。初めて撮影所を訪れた日、彼女はいきなり看護婦の役をやらされ監督に怒鳴られたからだ。

大部屋役者として忙しい毎日を過ごす小春にとって、心を許せるのは島田だけである。
そんな彼が書いた脚本が不本意にもドタバタ喜劇に変えられる。観る人の人生を変えてしまうような活動写真とは程遠い。小春はスター俳優の餌食にされる。

左翼活動家の小田切(平田満)が島田の下宿を訪ねる。

「気安く絶望なんて言葉を吐くのはよせよ。作ってくれよ、生きる望みを与えてくれるような映画を」

撮影所に対する不満をぶちまける島田は、活動写真屋に誇りを持つよう説得される。その直後、二人は特高警察にしょっぴかれる。
こいつ、マルクス読んでやがる、と張り込みの一人が開いた本にはマルクス兄弟の写真が載っている。

留置所での拷問に耐えた島田が撮影所へ戻ってくる。小市民の喜怒哀楽に焦点をあてて書いた脚本がやっと採用される。
看板女優の失踪で空いた大作の主役に、小春が抜擢される。

見せ場のシーンで上手く芝居ができない小春は、小倉監督から撮影の延期を言い渡される。その夜、喜八(渥美清)から本当の父親でないと告白されショックを受ける。だが翌日見事に演じきる。

浅草の映画館で、喜八は娘の晴れ姿を見ながら息を引き取る。多勢の観衆の中で。
桜まつりのステージでは、小春が楽しそうに「蒲田行進曲」を歌っている。
人気スターとなった小春を、島田は見守るだけだった。
  (注釈3)



松竹蒲田時代、小津安二郎や島津保次郎など多くの監督が「浮草物語」「隣の八重ちゃん」などの小市民映画の傑作を撮影した。
おそらくその一部のフィルムは、ボローニャの「チネチカ」で修復され、保存されているに違いない。


ボローニャの街づくりのやり方を「ボローニャ方式」という。これはそのまま都市再生の世界的なモデルとなっている。そしてそれを支えるのが「ボローニャ精紳」である。

自分がいま生きている場所を大事にしよう。この場所さえしっかりしていれば、人はなんとかしあわせに生きていくことができる。
歴史的建造物は壊さない。もちろん外観も変えない。しかしその内部は市民の必要に応じて思いっきり変えてしまおう。
過去と現在とは一本の糸のようにつながっている。現在を懸命に生きて未来を拓くには、過去に学ぶべきだ。


などなど。

付け加えるならば、ボローニャは歴史のある自治都市であり、レジスタンスの都市である。
ムッソリーニがイタリアを支配していたとき、抵抗し続けた。
自治とレジスタンスの伝統が災いし、戦後も国から敬遠されほとんど援助を受けなかった。自力で復興しなければならなかった。その結果、独自の発展をとげ、世界一の小型精密機械の産地となり、世界一のフィルム修復センターができた。


東北の復興には莫大な金がかかる。
しかしながら、東北の人たちが東北らしい街づくり、復興を望んでいるなら、ボローニャ精神を見習うべきだと思う。国をあてにするのは止めた方がいい。あてにすればするほど、裏切られ、傷つくだけだ。本気で東北を支援し続けてくれる人たちと一緒に粘り強く復興させていくべきだ。
井上ひさし氏ならそう考えるにちがいない。


ボローニャの魅力を教えてくれた、山形県出身の井上ひさし氏が亡くなって早一年が経った。



ボローニャは、手打ちパスタの本拠地である。ミートソースとして有名なボローニャ・ソースの発祥地である。
ボローニャの生ハムは滅茶苦茶うまい。

今宵は、松竹蒲田時代の名作を見る。
ボローニャの生ハムを肴に、イタリア赤ワインを飲みながら。

ボローニャ・ハム.jpg




注釈1、「ボローニャ紀行」(著者:井上ひさし)

      出版社:文藝春秋
      メディア:文庫本

注釈2、「父と暮せば」(監督:黒木和雄)
      日本映画 2004年製作
      日本原水爆被害者団体協議会特別推薦作品
      キネマ旬報主演女優賞受賞
      原作戯曲、読売演劇大賞優秀作品賞受賞

      メーカー:バンダイビジュアル
      メディア:DVD


注釈3、「キネマの天地」(監督:山田洋次)

     日本映画 1986年製作
     松竹大船撮影所50周年記念作品

     メーカー:松竹ビデオ
     メディア:DVD

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posted by マンハッタン坂本 at 00:00 | Comment(0) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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