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2011年05月19日

麗子に捧ぐ・1984

スタイル・オブ・市川崑 -アート+CM+アニメーション- [DVD]

麗子に捧ぐ・1984
introducing 「おはん」

未曾有の大災害が起きると、これまで体験した自分の災難が子供だましに思えてくる。
寸でのところで命拾いしたとか、滅茶苦茶ついてたとか、要するに目の前を災難が通り過ぎていったことを身振り手振りまじりに大袈裟に再現し笑いをとる。そんなことがいかにも馬鹿げた行為に思えてくる。

僕も人並みに天災や人災を体験した。
まともに体験した天災は、マグニチュード6.0の地震で、震度6以上の揺れをビルの8階で体験したくらいだ。洪水も火事も目の前で起こっただけで、実害はない。
人災にしたって、道の向こうから走ってくる車が停車した車のバックミラーを吹き飛ばし僕にぶつけたくらいだ。もぎ取られた部分が首に当たらなかったので命拾いした。
オヤジ狩りにも遭った。後ろから体当たりされて転んだ僕を若い二人組みが足蹴にして財布を盗っただけだ。オヤジの命まで盗っていかない。
まったくもって可愛い災難である。いずれも僕の記憶にしか映像がない。

ただひとつだけ、映像として残っている光景がある。1974年9月に起こった多摩川水害である。
そのとき多摩川近辺に住んでいたのだが、比較的上流の調布市だったため、堤防すれすれに濁流が流れるのを目撃しただけである。
下流の狛江市の堤防が決壊し、19戸の民家が流された。その報道映像に、ジャニス・イヤンが歌う「ウィル・ユー・ダンス」をかぶせて始まるのが、山田太一脚本のTVドラマ「岸辺のアルバム」である。

ハイホー、マンハッタン坂本です。

かつてTBSの金曜夜10時と言えば、社会派ドラマの大御所だった。
監督を意識して新作映画を見るきっかけとなったのは、ジョージ・ロイ・ヒルの「明日に向って撃て!」だが、脚本家を意識して新作ドラマを見るようになったのは、1977年に放映された山田太一の「岸辺のアルバム」からである。
のちに、「ふぞろいの林檎たち」シリーズや「想い出づくり」などの秀作が同じ時間帯で放映された。

大学生の僕にとって偉大な脚本家のベスト3は、日本テレビで1975年から1976年にかけて放映された「前略おふくろ様」倉本聰「俺たちの旅」鎌田敏夫と山田太一だった。
いずれも多くの優れたTVドラマのオリジナル脚本を単独で書いた。
だが不思議なことに、映画のために彼らが単独で書いたオリジナル脚本に名作と言われる作品が少ない。「冬の華」と「駅 STATION」だけである。いずれも倉本脚本である。山田太一原作の「異人たちとの夏」は、自ら脚本を書いていない。


1984年・4月6日、伝統あるTBS金曜夜10時、その年を代表するドラマの放映が始まった。「くれない族の反乱」である。脚本は山田太一でも倉本聰でも鎌田敏夫でもない。
日本初の劇場犯罪「かい人21面相事件」が勃発した直後で、放映期間中、江崎グリコが標的にされた。事件がエスカレートしていくのはその後である。
だが僕は、主演の大原麗子に夢中だった。
東京下町育ちを地で行く普通の主婦である彼女が、デパ地下の食料品売場を舞台に女としてどう自立していくのか。
相変わらず愛らしく、コミカルだった。


1983年12月に公開され、1984年に最終的に23億の配給収入を叩き出し、その年のナンバーワン・ヒット映画となった「里見八犬伝」は、原作の鎌田敏夫と監督の深作欣二が脚本を書いた。
1984年、アニメ映画の傑作が2本公開された。宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」と押井守監督の「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」である。

ビデオ・レンタル店が珍しい時代、レコード業界では前代見聞の出来事が起こった。角川映画が劇場公開と同時に「里見八犬伝」のビデオ・カセットを発売したのだ。だが角川春樹の試みは失敗に終わった。
さらに、「風の谷のナウシカ」のビデオ・カセットも限定で発売になった。価格は1万以上だったと記憶している。僕がいたレコード店の割り当て数があっという間に予約でいっぱいになった。
今では信じられないことだが、1979年公開の「ルパン三世 カリオストロの城」が興行的に大コケし、しばらく干されていた宮崎駿監督の新作を待ち望んでいた熱狂的なファンが買っていったらしい。
  (注釈1)


僕は、同監督の「紅の豚」の宣伝コピーが好きである。

「カッコイイとは、こういうことさ。」

周知の通り、これは糸井重里の作品である。彼は「となりのトトロ」でサツキちゃんのお父さんの声を演じ、宣伝コピーである「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」も書いた。

「ロマンチックが、したいなぁ。」

これもサントリーレッドの宣伝のために糸井重里が書いたキャッチコピーである。
1980年の作品で、和服を着た大原麗子がほんのり色気を漂わせ、ほんのり笑っているところがいい。
「おめかけさんの所に行って、わざと安い酒なんか飲んでるって、ちょっといいじゃないですか。好きな人と地味なことするっていうの。だから落語ですね、もともとは。『えー、ロマンチックを一つお願いしたいもんだね』とか、そんな感じ」
彼はそうコメントしている。

「すこし愛して、ながく愛して」
「あったかい夜をプリーズ」


1981年に製作されたTV・CFで、大原麗子が口にするコピーも糸井重里が書いた。そして映画界の巨匠、市川崑が演出した。
どちらも男に待ちぼうけを食ったというシチュエーションで、彼女が何とも愛らしく、いじらしい。
  (注釈2)



1984年、大原麗子の代表的な映画「おはん」も市川崑が監督した。
 
「おかよとは、今すぐいうて離れられへんけど、そのうち俺も、目が覚めると思うわ」 

女房であるおはん(吉永小百合)との別れ際に、幸吉(石坂浩二)がさらりとそう言う。そのくせ、未練がましく抱きしめる。

7年後、よりを戻すが、感情のおもむくままにおはんと密会する。だがおかよ(大原麗子)の前では屈託がない。
芸妓屋の女将である彼女にしても、幸吉からおはんを奪い取ったことに気を咎める風もなく、体を求めてくるだけである。
 
幸吉とおはんが隠れ家を手に入れる。二人の間に息子がいたが、不慮の事故で亡くす。おはんは悲しみのどん底に突き落とされる。
だがおかよは、平気で幸吉を奪っていく。
 
惚れた男に健気につくすけれど、どんなことがあっても離さない。
そんな情熱的な女を、大原麗子は見事に演じた。
 

二人の女から愛される幸吉。どっちつかずの情けないやつだが、妙に羨ましかった。
(注釈3)


誰しも男は、大原麗子さんみたいなおめかけさんがいたら、と思う。
いつもの酒が、いつもよりおいしい。






注釈1、「風の谷のナウシカ」(監督:宮崎駿)
      日本映画 1984製作 英題:Nausica of the Valley of the Wind
      日本アニメ大賞最優秀作品賞受賞
      パリ国際SF&ファンタジー・フェスティバル・準グランプリ受賞

      メーカー:スタジオジブリ
      メディア:Blu―ray

注釈2、「〜市川崑メモリアル〜スタイル・オブ・市川崑」
         アート+CM+アニメーション
 
      メーカー:角川エンタテインメント
      メディア:DVD

注釈3、「おはん」(監督:市川崑)
      日本映画 1984年製作
      原作、宇野千代
      アジア太平洋映画祭審査員特別賞受賞

          メーカー:東宝
          メディア:DVD
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posted by マンハッタン坂本 at 00:00 | Comment(0) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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