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2011年05月30日

「戦争を知らない子供たち」は、何を知っているのか。



「戦争を知らない子供たち」は、何を知っているのか。
 introducing 「フルメタル・ジャケット」「ジョニーは戦場へ行った」

2010年、北山修が九州大学を定年退職した。それを記念して行われた「さよならコンサート」で、終戦直後の1946年生まれの彼が作詩した「戦争を知らない子供たち」が歌われた。
1971年、この歌がジローズによってヒットした頃、ベトナムのアメリカ軍は戦争の泥沼化を打開するためにカンボジアへ侵攻していた。
本国アメリカでは、マービン・ゲイが「WHAT'S GOING ON(邦題:愛のゆくえ)」を大ヒットさせ、同じタイトルのアルバムが爆破的に売れていた。
   (注釈1)

そのとき僕はまだ16歳の高校生で、ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵の平均年齢が19歳だったことを知らなかった。
世界史の好きだった僕は、丁度その頃から世界中の戦争名とその戦争が何年に何処で起こったかを貪るように憶えていた。今でも三省堂が発行した「各国別世界史の整理」という大学受験用の参考書を後生大事に持っている。

同級生の誰よりも戦争に詳しかった僕の知識は、大学受験には大いに役立った。
だが昨今のゲーム・オタクがその種類に詳しいのと同じ次元だった。

ハイホー、マンハッタン坂本です。

ベトナム戦争に従軍した大半のアメリカ兵が黒人だった。
同じ黒人のエドウィン・スターが歌った「WAR(邦題:黒い戦争)」(1970年)も白人のクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルが歌った「HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN?(邦題:雨を見たかい?)」(1971年)も日本人の新谷のり子が歌った「フランシーヌの場合」(1969年)も、大ヒットした反戦歌である。

残念ながら当時の僕にとって、WARはウォウ・ウォーと同じ響きに聞こえ、ナパーム弾を意味する雨はありふれたアメリカの雨で、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺したフランシーヌはただのおバカさんだった。

「雨を見たかい?」(歌:クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)



1971年にヒットした「戦争を知らない子供たち」も「ホワッツ・ゴーイン・オン」もベトナム戦争を意識した反戦歌だ。
のちに北山修は戦争を体験した世代への反抗歌だったと自認している。
ベトナム戦争から帰還した弟との再会がきっかけで名曲を生んだマービン・ゲイは、1984年に厳格な牧師である父親に銃で撃たれて命を落とした。

「ホワッツ・ゴーイン・オン」(歌:マービン・ゲイ)



「黒豚、ユダ豚、イタ豚を、おれは見下さん。すべて平等に価値がない! 分ったか、ウジ虫!」

あらゆるダーティな言葉を総動員するハートマン教官(リー・アーメイ)は、間髪も入れずに少年兵たちへ浴びせかける。彼らは、頭を丸刈りにされ海兵隊のブートキャンプでしごきに耐えている。

初日にささやかな抵抗を試みたジョーカー(マシュー・モディーン)は、たちまち手なずけられ、いつも槍玉に上げられるレナード(ビンセント・ドノフリオ)に手を差し伸べられない。デブでのろまでドン臭くてヘマばかりしているからだ。

ジョーカーは、班長に任命されレナードの面倒を見るようになる。やっと彼も仲間についていけるようになる。射撃の腕前だけは群を抜いている。
だが教官にドーナツを見つけられたレナードは、ヘマをする度に彼以外の仲間が罰を受けるようになる。真夜中に仲間から袋叩きに合ってからは、ライフル銃相手に話すようになる。

訓練最後の夜、ジョーカーはトイレで7.62ミリの「完全被甲弾(フルメタル・ジャケット)」を装てんするレナードを発見する。
レナードは、駆けつけた教官を射殺し、自ら銃口を口にくわえ自殺する。

ダナン海兵隊基地に赴任したジョーカーは、「スターズ&ストライプス」紙の報道員となり、取材しながら戦闘に加わる。
襟に平和のシンボル・バッチをつけ、「BORN TO KILL(生来必殺)」のヘルメットをかぶり、フバイにいる前線部隊の取材に赴く。ブートキャンプ仲間のカウボーイと久々に再会するが、すぐに偵察部隊に同行する。

途中、仕掛け爆弾で一人殺られ、スナイパーに一人殺られる。リーダーを引き継いだカウボーイが大軍の待ち伏せと思い込み、戦車の応援を依頼する。道に迷い、進路変更を迫られ、パニックになったからだ。
また一人殺られ、部隊は狂ったように撃ちまくる。アテにならない戦車応援をあきらめ、スナイパーがいる建物に向かって突撃する。途中、カウボーイが狙撃される。
煙幕を立てる。進入した階で、ジョーカーがスナイパーの後ろ姿を発見する。弾が撃てず手間取っている間に気づかれる。だが援護の仲間が血祭りに上げてくれる。虫の息で倒れていたのはべトコンの少女だった。

少女の周りに部隊が集まる。撃てと乞うスナイパーに向かって、ジョーカーがとどめの一発を撃つ。
たった一人の少女スナイパーに翻弄された部隊は、そのことを忘れたいかのように行軍する。「ミッキーマウス・マーチ」を歌いながら。
   (注釈2)



1971年、究極の反戦映画が製作された。「ジョニーは戦場へ行った」である。
マッカーシー旋風が荒れ狂う中、アカのレッテルを貼られたため変名で「ローマの休日」の脚本を書いたダルトン・トランボが満を持して世に送リ出した監督作である。


1917年、第1次世界大戦にアメリカが参戦する。
塹壕で被弾した身元不明の負傷兵4−7号が陸軍医療隊のティレリー大佐のもとに担ぎ込まれる。

脳の中で延髄だけが唯一損傷を逃れたため、心臓、呼吸中枢は機能し続けている。小脳の機能により身体は動くが、動きに意味はない。
動きが激しく継続的なら、鎮静剤を投与すればいい。
そう彼は診断し、他の患者を救う研究材料として生かしておくことにする。

意識する人間として患者を優しく看護する。
担当者は患者に感情移入してはならない。
患者には記憶も夢も思考もないことを肝に銘じておく。
そう看護婦に指示する。

やがて、患者を目立たせないために、サン・クルール第3病院の備品室へ入れる。
新しい婦長が閉めきった鎧戸を開く。
新しい看護婦が患者の額に触り、涙を流す。新しいベッドに交換する。
患者の額にキスをする。シャツをはだけ、患者の胸に指でMの文字を書く。タオルで拭きとり、再びMを書く。しきりに首を振るので、そのままM-E-R-R-Y C-H-R-I-S-T-M-A-Sと書く。

ある日、痙攣とは思えない規則的な首の振り方をするので、看護婦は軍医に相談する。
ティレリー大佐が、軍幹部や牧師を伴って様子を見にくる。
モールス信号で、SOSと言っている。脳の機能が完全に停止したわけではない。患者に意識があることが判明する。

「もしあなた方が、僕をみんなに見せたくないなら、いっそ…殺してくれ」

そうアピールするまで、ジョー(ティモシー・ボトムズ)は長く苦しい日々を過ごした。
意識が戻って目が見えないことに気づく。両腕が切断されたことに気づく。目も口も歯も舌も鼻もない、顔中がえぐられていることにショックを受ける。
出征前夜にベッドを共にした恋人のカリーンや亡くなった父親(ジェースン・ロバーツ)と夢の中で話をする。懐かしい想い出も甦ってくる。

額に温もりを感じ、それが太陽の光のせいだと気づく。昼と夜の区別ができるようになる。日々の経過が判るようになる。
看護婦の柔らかい手を感じる。胸にメリー・クリスマスと書いてくれたことが嬉しい。
夢の中で父親が助言する。モールス信号で話してみろ、子供の頃やっただろ。

「殺してくれ」

繰り返し繰り返しモールス信号で、ジョーは首を振り続ける。
一人部屋に残った看護婦が神に許しを乞い、呼吸管を締める。
途中で軍医に見つかり、ジョーの望みが永久に果たせなくなる。
   (注釈3)



「戦争を知らない子供たち」と言われた、いわゆる団塊の世代、あるいは僕が属する谷間の世代(その当時は、シラケ世代)、あるいは新人類の世代には、すでに孫までいる。

未曾有の大災害で、日本国民が右往左往している。現役で日本を支えている政治家も経営者も労働者も大半が「戦争を知らない子供たち」だからだ。
しかも棺桶に片足突っ込んでいるとは言え、「戦争を知っている子供たち」まで右往左往している。現役から引退したからではない。歳をとって身体が弱ったからではない。
略奪が起こらない国、我慢強く礼儀正しい国、と世界から賞賛されるくらい贅沢が身についてしまったからだ。

「天罰だ!」と言って非難を受けた東京都知事は、「太陽の季節」を書いて文壇に登場した小説家にしては、貧困な言葉を使ったものだ。
東日本大震災でこうむった犠牲を無駄にしないための「天からの警告」だと言うべきではなかったか。
日本国が傾いていること、国民の大半が贅沢にどっぷり浸かっていること、料金さえ払えば電気は使い放題だと思い込んでいること、暑ければ安易にエアコンをつければいいと思っていること、などなど。そういったことに対する警告ではなかったか。


日本の財産の大半を一部の高齢者が握っている。彼らは「戦争を知っている子供たち」だった。
現在、リタイアした「戦争を知っている子供たち」は、少なからず悠々自適な生活を送っている。一部の現役だけが裏で日本を牛耳っている。
彼らは、いい意味でも、悪い意味でも、日本の高度経済成長を支えてきた。
お陰で贅沢させてもらっている。
だが今やるべきことは、右往左往している「戦争を知らない子供たち」を全面的にサポートすることではないだろうか。日本国をつぶさないために。



1950年生まれのパンタは、「頭脳警察」という反体制的なバンドを結成し、「戦争しか知らない子供たち」という替え歌を発表した。
彼にとって全共闘運動こそリアルな戦争だったのかもしれない。




1944年生まれの川本三郎氏が「週刊朝日」の記者になった頃、全共闘運動は直接行動へ先鋭化しつつあった。彼は、京浜安保共闘のメンバーと名乗る菊井良治と接触する。宮沢賢治が好きで、ギター片手に「雨を見たかい?」を歌う姿を見て、信頼を寄せる。
1971年「朝霞自衛官殺害事件」が起こる。菊井は「赤衛軍」と名乗る過激派の主犯だった。
川本三郎は、彼に単独インタビューを決行する。犯行の証拠品である警衛腕章とズボンを彼から受け取る。菊井を思想犯として扱い「ニュース・ソースの秘匿」を主張し、社会部の判断に従うべきだという説得に反発する。
結果、証拠品を処分したかどで逮捕される。「証憑湮滅(しょうひょういんめつ)」の容疑である。

その体験を綴った「マイ・バック・ページ」が映画化になった。
事件当時、監督も脚本家も、週刊誌記者を演じた妻夫木聡も、革命家を演じた松山ケンイチも、生まれていなかった。






注釈1、「ホワッツ・ゴーイン・オン」(アーティスト:マービン・ゲイ)

 
メーカー:モータウン
メディア:CD

注釈2、「フルメタル・ジャケット」(監督:スタンリー・キューブリック)
     イギリス・アメリカ映画 1987年製作 原題:Full Metal Jacket

     メーカー:ワーナー・ホーム・ビデオ
     メディア:Blu-ray



注釈3、「ジョニーは戦場へ行った」(監督、脚本:ダルトン・トランボ)
  
     アメリカ映画 1971年製作 原題:Jonny Got His Gun
     カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞

     メーカー:ジェネオン・エンタテインメント
     メディア:DVD


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posted by マンハッタン坂本 at 01:00 | Comment(0) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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