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2011年09月01日

1984年のホーボー・ジャングル

ブルックリン橋.jpg

親愛なる読者の皆様へ

ご承知の方もいらっしゃると思うけれど、僕は昔、正確には1991年から2000年にかけて、ライブの映画紹介イベント「シネマ・ワンダーランド」のパーソナリティをやっていた。月1回のペースで行い、102回までやった。不本意にも21世紀を目前にして撃沈した。

偶然のきまぐれにより、後輩から映画紹介のブログをやってみないかと声をかけられ、この世界に入った。始めは雇われだったが、契約が切れたのでシネワンを復活した。頭にブログ版がつくのは、そんな理由からである。

もともと超アナログ人間のため、お若い人のブログと比べると凝った仕掛けができない。その代わり、1周年を迎えるにあたって紹介映画のインデックスを作成した。索引ページをクリックしてもらえば、「STORIES MENU」と出てくる。ネタバレ文とはいえ、あらすじとは一線を画したいので、そうネーミングした。もとの映画をご覧なった読者ならお分かりだと思うけれど、忠実とは言い難い。あくまでシネワン・スタイルのお話である。

ついでながら、ストーリー・テラーとはとても言い難い、間借人の創作もインデックスに入れた。ネタに困ったときにディテールを提供してくれた以上、無視するわけにいかない。しかも1周年記念とか言ってまたまたタンスの隅から引っ張り出してきた。はっきり言ってゴン語同断な作品である。

1年前から読んでいただいている読者の方、最近になって当ブログを知り読者になられた方、改めてオヤジの昔話につきあっていただき、感謝します。

                                                               マンハッタン


HOBO JUNGLE (歌:ザ・バンド)



 1984年のホーボー・ジャングル                               

 
 大学時代に戻りたい。そう思ったのはいつ頃だろう。
 おそらく3年前だ。
 いつものようにアパートを出て、西通りを突っ切り、編集室のあるビルの前の横断歩道を渡りかけたときだ。信号が赤に変り、少しあとずさりした拍子にふっとそう思う。
 遠くに目をやると、背筋を伸ばした女子大生が颯爽と歩いている。フラッパーな髪型に不釣合いな童顔の子が近づいてくる。
 伊藤真実(まみ)だ。
 彼女はアルバイトでモデルをやっている。深夜TVのアシスタントをやったことがある。普通にスタイルがいい。誰の目にも感じがいい。笑顔が自然でカワイイ。写真写りがいい。生身の彼女の魅力がそのまま余すところなく写真に出る。僕が編集に携わるタウン情報誌で、イメージ・キャラクターをやっている。ローカル企業の宣伝ポスターに出たことがある。たとえ全国区になっても、PARCOの女の子みたいに目立つようで目立たない。そんな普通に魅力的なところが好きだ。
 学校が休みになると、彼女は決まって日本からいなくなる。時折見知らぬ街からお土産を持ってきてくれる。彼女の先輩でスチール担当の桐野愛子は、秘密だらけの子だと言う。
「驚いたな。ウィンクするなんて」
 信号が変り、僕は小走りに彼女に駆け寄る。
「してないじゃない」
 笑いながら彼女が言う。
「ちょっと手を振っただけよ」
「アイドル歌手みたいに?」
 真実はニッコリ頷く。
「元気そうね」
「久しぶりだな」
 彼女が大学を卒業して以来だ。1年も経っている。
「すぐに分かった?」
「明って、コンパス長いもの」
「今日は僕の誕生日だっけ?」
「毎日誕生日でしょ? おつむの中は」
「今じゃ、これしか自慢のタネがない」
 僕は自分の脚を叩く。彼女が恋人以上だった頃、あなたのいいところは、それを自慢しないことよ、と言われたことがある。
「他はどうしたの? 失くしちゃったわけ?」
「ほら、人生ってつまずきの連続だろ。つまずく度に体が軽くなる」
「風の日なんか歩けないわよ」
「ジェットコースターにも乗れない」
「前からじゃない!」
 彼女は口をとがらせる。
「今気づいたけど、それ、ユニークな重ね着だな。似合ってるよ」
「でしょ? ニューヨークで流行ってたから、やってみたの」
「また、そんなところうろついてたのか」
「3ヶ月くらい」
 彼女はあっさりそう言う。
「ねえ、今からレコード店へ行くの」
「つき合うよ」
 僕らはアーケード街に向かって歩き出す。
「何買うの?」
「昨日、マーヴィン・ゲイが死んだでしょ?」
「知ってる。親父さんに拳銃で撃たれたんだ」
「だから急に聴きたくなったの。『What's Goin’On』」
 真実と再会したのは、マーヴィン・ゲイの45歳の誕生日である。彼はその直前に殺されたことになる。

                       ★

 彼女がレコード店でLPレコードを買ったあと、僕らはピザ・ハウスのシェーキーズに入る。
「ねえ、彼女が現れたんだって?」
「誰から聞いたの?」
「ホーボー・ジャングルのマスター」
「おしゃべりだな」
「だって明のこと全部分かるもの。私の前に何人ふられたか、私のあとに何人ふられたか、決まって泥酔してアパートに置き去りにされるでしょ?」
「数えたのか?」
「8人。ねえ、私も見かけたのよ」
「どこで?」
「ここで、一週間前だったかしら」
「嘘だろ?」
「始めのうち、まったく気づかなかったのよ」
 もったいぶった口調で彼女が言う。
「イエスの『Owner Of A Lonely Heart』がかかったから、二人してPVを見てたの」
「誰と?」
「彼と一緒よ。パイナップルのピザをぱくついてたとき。それで、ユーリズミックスの『Here Comes The Rain Again』に変ったとき、ひょいと自動ピアノの方を見たの。するとボックスに彼女がいたの」
「一人で?」
 僕は心配げに訊く。
「男の人と一緒」
 彼女は悪戯ぽく笑う。
「ねえ、兄弟はいるの?」
「妹が二人」
「凄く似てたわ」
「男が?」
「兄さんかと思った」
 僕はしばらく考える。
「こっちに従兄はいない筈だけど」
「今でも好きなの?」
「え?」
「今でも彼女のことが好き?」
「7年前だぞ」
「もしそうだとしたら、太刀打ちできないわ、私なんか」
「どうしてそう思う?」
「だって素敵だもの。どう見ても」
 僕はいささか驚く。あっさりした性格の彼女が明らかに心を動かされている。おまけに、恋人以上だった頃を彷彿とさせる熱い視線で、本当にウィンクをする。今からディスコに繰り出そうと言い出す。

                       ★

 音楽カフェホーボー・ジャングルがオープンして4年が経つ。巨大なEPレコードを思わせるカウンターに初めて座ったのは、タウン誌の記者として店を取材するためだ。
 僕はいきなり店の名前の由来を訊く。「スケアクロウ」って映画で、ジーン・ハックマンがアル・パチーノに「ルンペンたちの森(HOBO JUNGLE)を知ってるか?」と訊くシーンがあったけど、と切り出す。マスターは首を横にふる。彼は熱狂的なアメリカのシンガー・ソングライターのマニアである。ザ・バンドの「南十字星」の中の曲だという。
 こぢんまりとした店内に若いカップルは少ない。大半が彼の2千枚に及ぶレコードを聴くために集まってくる。
 僕はマスターより二つ年下で、ソウル・グループのコレクターだ。だが僕らの世代にとって、70年代前半はアメリカン・ミュージックの全盛期だったという点で意見が一致する。
 ジャクソン・ブラウンもブルース・スプリングスティーンもジェームス・テイラーもニール・ヤングもイーグルスもドゥービー・ブラザースも70年代前半にデビューし、ローラ・ニーロもジョニ・ミッチェルも世に出たと言う。
 モーメンツもチャイ・ライツもスタイリスティックスもオージェイズもドラマティックスも70年代前半に一世を風靡し、プレジデンツもエスコーツもダイナミックスも忘れ難い、と僕も負けない。
 旅行代理店に就職した真実は、仕事で外国に行く度にお土産を買ってくる。ニュージーランドのシープ・スキンやカリフォルニアのTシャツ、などなど。
「ねえ」
 僕はジャック・ダニエルズのロックを飲みながら彼女に切り出す。お土産をもらう度に、ホーボー・ジャングルに連れてくる。
「どうして君は、あいつとまだつき合ってるんだ?」
「気になる?」
「だって以前はそんなことなかった」
「あら、明だって、ふた股かけてるじゃない」
 彼女の言う通りだ。僕は常に君とふた股かけている。

                       ★

 真実がコーヒー・カップをお土産にカナダから帰った日、僕はいつものようにホーボー・ジャングルでジャック・ダニエルズを飲みながら彼女を待つ。毎度遅れてくるので、約束の時間になる前からカフカの「城」を読む。客が立て込んでいて、マスターと話す状況ではない。
 やがて僕らは最近の音楽状況について語り合う。ここのところめっきり聴きたいアルバムがない、という点で意見が一致する。思えば今年前半に頻繁に聴いたアルバムと言えば、片手で足りる数だ。デルズの「ワン・ステップ・クローサー」、ワン・ウェイの「レイディ」、などなど。
 マスターは悲惨な顔をする。ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」を除けばコレだけだ、と言ってレコードをターンテーブルの上に置く。
 ローラ・ニーロの「マザーズ・スピリチュアル」が流れる。
 B面の1曲目がかかったとき、やっと真実が現れる。彼女は赤と黒のタンクトップを重ね着し、デニムのホット・パンツをはいている。
「1ヶ月ほどいないんだって、見かけた人」
 カナダの話をひとしきりしたあと、彼女がいきなりそう言う。2杯目のジム・ビームのロックを飲んでいる。
 僕はいささか驚く。
「まあね」
 僕はあいまいに答える。
「何か寂しくない?」
「寂しい?」
「不安になってるんでしょ?」
「心配してくれるわけ?」
 彼女は真剣な目で僕を見る。
「まあ、少しはね」
 僕は仕方なしに認める。
「ひょっとしてカナダで見かけたの?」
「まさか」
 そう言ってジム・ビームを飲み干す。少しじらすようにグラスにボトルを注ぎ、氷を足す。前を向いてゆっくりと口をつける。
 僕はじっと話の続きを待つ。せかしたところで容易に口を開く彼女ではない。
「実は」
 彼女は僕の方を向く。
「明に嘘をついてたの」
「嘘?」
「いつだったか、シェーキーズで彼女を見かけたって言ったでしょ?」
 彼女はわざと低い声で言う。
「あれは真赤な嘘だったの」
「気づかなかった」
「始めのうち、明をからかうつもりだったの。でもあんな風に噂が広まったでしょ? まるで『かい人21面相』みたいに。吐き気がするの?」
「そうじゃないけど、ちょっと驚いただけさ」
 僕は慌てて弁解する。
「それで言い出せなかったんだ?」
「なんとなく面白そうだったの。明がどんな風に変わってくのか」
 真実があっけらかんと言い放つ。腹を立てる暇すらない。
「で、どんな風に変わった?」
「なんだかはしゃいでたわ。有名人なったみたいに」
「とっくに峠は過ぎたさ」
 僕は無理して笑う。すると突然君の想い出話を聞かせたい衝動に駆られる。半分やけくそといった感じで話す。この街の誰にも打ち明けたことのない話ばかりだ。よりによって相手が真実になるとは、我ながら意外だ。
 僕がろれつが回らなくなった頃、おとなしく聴いていた真実が言う。
「怒った?」

                       ★

 密かに君を捜していることを事細かに白状したあと、真実が訊ねる。
「どうして話す気になったの?」
「やっと分かったんだ。過去はもう役に立たないってね」
 その日は、一日中歩き回りくたくたになってホーボー・ジャングルにたどり着いており、ちょうどカウンターに座った真実が暖かく迎えてくれたせいだ。彼女なら何でも受け入れてくれる。
 真実はゆっくりとジム・ビームのロックを飲み干し、僕の目を覗きこむ。
「つまり、どんなに捜しても、彼女はもうこの街にはいないってことなの?」
「それは分からない。彼女がこの街にいるって証拠も、いないって証拠も同じくらいないんだから」
 僕は真実の真剣な顔を見ながら言う。
「ただ、彼女は僕にヒントを与えてるんだと思う」
「ヒント?」
「君が言うように彼女はこの街にいない。それとも、どこかにいてひっそりと僕を見守っているかもしれない。再びこの街に戻ってきて、僕の目の前に現れるかもしれない。でもそう考えること自体が彼女のヒントなんだ」
 僕は少し考えてから決然と言う。
「彼女と決着をつける決心がついたよ。そのヒントのお陰で」
「どう決着をつけるの?」
「いいかい。僕はこれからだって彼女を捜し続ける。それは止めない。でも、今までみたいに過去の手がかりとか想い出とか、そんなものに頼って捜し続けることなんてしない。今、現在を生きることによって捜し続けようと思うんだ。」
「それでいつか決着をつけるのね」
 真実がさり気なく口を挟む。
「たとえ彼女に再会できなくてもね」
「分かったわ」
 彼女はニッコリ笑う。
「じゃあ、私もつき合いで彼と別れる」
「嘘だろ?」
「信じられない?」
「そうじゃないけど、ふた股またかけたままだぞ、僕の方は」
「いいの」
 彼女はあっさり言う。
「二度と嘘はつかないわ」
「ありがとう」
「ねえ、私も捜していい? 一度会ってみたいの」
「7年前の写真だけで分かるの?」
「だって明の趣味って決まってるもの」

トレーニング用ベンチ
トレーニング用ベンチ / june29
                       
 

 夕陽を背にして公園のベンチに腰を下ろす。ジョギングをする人々の規則的な吐息が近づいては去っていく。顔を上げ遠くに目をやると、中道のこんもりと生い茂った松林の向こうにマンションの群れが見え隠れしている。
 しばらくぼーっとする。いつの間にかうとうとする。はっと目を覚まし、僕は公園の南側を走る国道に出る。
 空はすっかり薄暗くなっている。アスファルトの道を挟んで歩道に等間隔に植えられたけやきの木が黒く連なり、そこだけ印象派の絵のようだ。何度となくこの通りを歩いたのに、今日に限ってどうしてこんなに新鮮に感じるのだろう。
 途中、小さなほこらが目に入り、その前で立ち止まる。中は少年のような地藏が祭ってある。ひな菊が供えられている。僕は自然と手を会わせる。信心があるわけではない。ヒッチハイクしたときの癖だ。旅の安全を祈る代わりに、彼女に会えますように、と一言祈る。
 するとけたたましくクラクションが鳴り響く。驚き音の方を振り向く。向かいの車線に黄色いファミリアが停まっている。車の中から真実が手を振っている。
 僕は慌てて車に向かい、助手席に乗り込む。
「どうして教えてくれなかったのよ」
 先日、ホーボー・ジャングルを出たあと、真実と別れた彼氏に襲われたのだ。いきなり腹に一発喰らい、眼鏡が吹っ飛ぶ。お陰で、黒縁の丸眼鏡に変える。
「よく言うよ。先に写真を手にいれたくせに」
「桐野先輩が偶然撮影したやつ?」
「もちろんさ」
「だからちょっとしばらく見せたくなかったの」
「どうして」
「聞きたい?」
「気にいったんだろ?」
「気に入ったわ。ちょっとやけるくらい」
 屈託なく彼女が言う。
「でも、何となくイメージが違うの。私が想像してたのと。だから捜さなかったの」
「彼女に間違いないさ」
 僕はきっぱりと言う。
 真実はあきらめたように肩をすくめる。車を走らせ、ドゥービー・ブラザースの「What A Fool Belives」を流す。マイケル・マクドナルドとパトリック・シモンズの高音のハーモニーがスリリングだ。

                       ★

 数日後、買ったばかりのテンプテーションズの「トゥルーリー・フォー・ユー」をホーボー・ジャングルに持っていく。ジャック・ダニエルズのロックを飲みながら耳を傾ける。マスターが珍しく昔の恋人の話をする。
 ニコニコしながら真実が入ってくる。聴いたわよ、と言いながら僕の隣に座る。
「何を?」
 僕はとぼけて言う。
「決まってるじゃない。土曜日のリクエスト・タイムよ――FMの」
「かかった?」
「聴いてなかったの?」
「原稿の追い込みがあったから、忘れてた」
 僕はわざと嘘をつく。急に真実に対してうしろめたい気分になったのだ。
「なかなかよかったわ」
 ジム・ビームのロックを差し出すマスターに向かって、真実が言う。
「『リクエスト・カードを出すのは10年ぶりだけれど、誰かのためにリクエストするなんて生まれて初めてだ。おそらくこれが最後だろう。
 君がどうしてこの街に来ているのか。どうして僕に会いに来てくれないのか。その理由は分からない。でも僕はもう一度君に会いたい。そのためなら何だってするだろう。
 だから君が好きだったこの曲をプレゼントする。荒井由実「中央フリーウェイ」』
 それからちゃんとかかったわ。フルコーラスで」
 僕は驚き真実を見る。
「どうして一語一句間違えずに言えるんだ?」
「だって録音してたもの」
「事前に知ってたの、放送すること?」
「吉山真央さん本人から」
「君は何、僕がふられた女の子とみんな知り合いなわけ?」
「らしいわね」
 僕は観念する。
「じゃ、おしまいだな」
「おしまいって?」
 僕は真実の顔をじっと見つめる。
 彼女は何を言わんとしているのか察している。ニッコリ微笑む。バラのような微笑だ。
 そして僕の口から確かな言葉が出るのを待っているようだ。
「彼女もついに、リクエスト曲をプレゼントするだけの存在になったよ」
 僕は努めて陽気に言う。
「決着をつけたのね」
「もう探し回るなんてしない」
 ロックを飲み干し、決然とそう言う。
「ねえ、聖書にこういう言葉があったの」
「聖書なんて読むの?」
「失礼ね。There is More Happiness in Giving Than There is in Receiving」
 流暢な英語で、真実が言う。
「どういう意味?」
「『受けるより与えるほうが幸福である』」
「なるほど。ぴったりだ」
 真実が思い切り小突く。そして11月の第4木曜日は、アメリカでは Thanksgiving Day つまり感謝祭であることを教えてくれる。

                       ★

 翌日、感謝祭のパーティへ行く。
 真実に連れられ、彼女のアメリカの友人宅へ向かう。途中、地下街を歩く。
 黒のスーツを着込んだ僕は、コム・デ・ギャルソンの上下でドレスアップした真実と気取って歩く。幸福をかみしめる。
 前方まっすぐ目をやると、クリスマス・セール用に各店頭に飾り付けられた白木が冬の散歩道のように連なっている。ゴシック調にデザインされた黒塗りの天井には、空飛ぶ円盤の発光体を思わせるライトの群れが帯状に点滅している。さらに遠くでは、暖房の影響で発生した陽炎が行きかう人々を柳のように揺らしている。どこからともなくジャズ・ピアノの調べが聞こえてくる。オイゲン・キケロの演奏のようだ。地下街の空気を軽くするかのようにメロディが舞っている。
 すれ違う見知らぬ人々の顔や服装や歩きぶりを眺めながら、今にも鼻歌を口ずさみそうに陽気だ。
 すると突然目の前の光景があたかも今まで僕に親切にしてくれた人々がねり歩いているような錯覚に陥る。僕は目を見開き、彼らを一人一人確かめていく。
 彼らの親切を一つ一つ思い浮かべると、これらの見知らぬ人々がいとおしく思えてくる。彼らは、ある時は人を欺き、ある時は人を無視し、ある時は人を傷つけ、そういったことをこれまで何度もしでかしている。これから先も気づかずやってしまうかもしれない。にもかかわらず、僕は彼らを受け入れることができそうな気がする。
 僕の周りの人たちも、僕に親切にしてくれた人たちも、これらの見知らぬ人たちも、僕と同じように欠点だらけの人間なのだ。これまで何度となくつまずき、何度となく傷つき、それでも何とか生きているのだ。誰とも比較できないそれぞれの人生の重みを背負って生きているのだ。そんな実感がふつふつと湧いてくる。
 すべては、この茶目っ気あふれる妖精のような真実がかけた魔法なのだ。

                       ★

 編集長の実家で行われたクリスマス・パーティには予想以上に多くの人が集まる。音楽やステーション関係の友人、映画や出版、美術関係の友人、会社経営者や政治家まで来る。
 黒のカクテル・ドレスに身を包んだ真実を伴い、僕は気軽に知り合いに声をかけて回る。
 誰もが真実と完璧によりを戻したことを知っている。だが君と再会できたことが必要以上に僕を明るくさせている。
 パーティのクライマックスは、友人のジョージ岡部が歌うクリスマス・ソングのメドレーだ。オーティス・レディング風に「ホワイト・クリスマス」、奥さんとデュエットで「ハッピー・クリスマス」、などなど。
 玄関を出ようとしたとき、桐野愛子がツーショットを撮ってあげると言う。中庭まで連れて行かれる。僕らは池のほとりで抱き合うようにして写る。彼女の口車に乗せられ、いつの間にかそんな恰好をさせられたのだ。とってもいい雰囲気だったからパネルにしてあげる、と彼女が提案する。僕はできれば写真立てのサイズがいいと言う。
 彼女に礼を言って別れたあと、僕らは静かな邸宅沿いの道をゆっくり下っていく。空を見上げると、クリスマスの夜だというのにまるで雪が降る気配がない。くっきりと満月が浮かんでいるだけだ。
 僕はしばらく黙って歩く。ふいに真実の手を離す。
「昨夜、彼女に会ったよ」
 僕は深呼吸をしてから静かにそう言う。
「知ってる」
 真実は間を置いてから言う。
「見てたの?」
「遠くからちょっとだけ」
「悪かった」
「気にしないで」
 真実が僕の方をちらりと見る。
「それで、どうだった? 7年ぶりの再会は?」
 僕は再会の一部始終を思い浮かべる。
「何だかあまりに突然だったんで、思ってることがうまく言えなかった気がする」
「再会なんてそんなものよ」
 僕は素直に頷く。
「とにかくほんの30分くらいしか話せなかったけど、ホッとしてる。すべてが終わったって感じで」
「すべてが終わった?」
 僕は時間をかけて慎重に言葉を選ぶ。
「つまり、この7年間に彼女に対して抱いていた想いみたいなものがすべて幻だったってことかな。なのにバカみたいに必死になって探し回ってたんだから。彼女の妹さんと知らずに」
「やっぱりそうだったの」
「やっぱりって?」
「桐野先輩が撮った写真を見たとき、彼女じゃないような気がしてたの」
「そう言えば、イメージが違うって言ったんだ」
「憶えてた?」
「どうして分かった?」
「女の感かしら」
「参ったな」
 僕は大きく溜息をつく。
「君は僕以上に彼女のことを知ってる」
「らしいわね」
「おまけに」
 僕は再び真実の手を握る。
「僕以上に僕のことを知ってる」
 真実が嬉しそうに笑う。

                       ★

 僕らはタクシーに乗り、ホーボー・ジャングルに繰り出す。
 いつも集まってくる若い連中は、高級な店に出かけたらしく、店内は数人しか客がいない。僕らにとっては水入らずでマスターと話ができる。
 常連の客からもらったと言うクリスマス・ケーキを一緒に食べる。僕はいつものようにジャック・ダニエルズを飲む。真実はジム・ビームを飲む。マスターはバドワイザーを飲む。
 飲みながらあと1週間となった1984年を振り返る。特に感慨のない平凡な一年だったとマスターは言う。仕事がらみだけれど、いろんな外国に行けてバラエティに富んだ年だったと真実は言う。できればもう一度ニュージーランドへ行ってみたい、と。
 二人の話を聞きながら、僕は苦笑いをする。僕に関する限り、マスターは冬にふられた女の子の愚痴を散々聞かされ、夏に真実とよりを戻して差し引きゼロだったからだ。真実は僕と再会しふた股をかけ、僕と完璧によりを戻すために元彼と泥沼の別れ話をやらかしたにちがいない。
 僕にとってこの1年は、幻の君の存在のお陰で真実とよりを戻すことができ、思いがけなく本物の君と再会できたのだ。
「さっぱり分からないんだ」
 マスターが厨房のかたずけを始めた隙に、酔いに任せて真実に尋ねる。
「君がどうして僕のことを好きになったのか、どうしてよりを戻す気になったのか……」
 真実は僕の目をじっと見つめる。
「どうしても理由を知りたい?」
「君に夢中だからね」
「じゃ、一つだけテストするわ。いい?」
「いいとも」
「もし私が突然明の前からいなくなったら……」
 真実は少し考えてから口を開く。
「例えば、ある街に行って、理由もなく行方不明になったら、彼女と同じように探し回ってくれる?」
「もちろんさ」
 僕は力を込めて言う。
「本当に?」
「誓って約束するよ」
「じゃ、それが答よ」
「答?」
「明を好きになった訳よ」
 真実があっさりそう言うと、残りのジム・ビームを飲み干す。
 僕はしばらく分からない。まるで台詞を忘れた舞台役者のようにおろおろしている。
 やがてたった一人の観客である真実がくすくすと笑い出す。つられて僕も笑い出す。照れ笑いだ。
 僕は何てつまらない質問をしたんだ!
 僕らは笑い合いながら少しずつお互いの顔を近づける。僕は真実の目を見つめ、真実も僕の目を見続ける。彼女がゆっくりと目を閉じると、肩を優しく抱く。そして口づけをする。長い間離さない。
 おそらく厨房の中から、マスターはじっと僕らを見守っていたにちがいない。

                       ★

 数日後、写真立てに入れた僕らのツーショットを桐野愛子がプレゼントしてくれる。僕は早速それを編集室の机の上に飾る。
 改めて写真を眺めてみる。くだけたツイードのジャケットを羽織った僕は大胆すぎると思えるほど真実の肩をしっかりと抱き寄せている。黒のカクテル・ドレスでシックに決めた真実は、天性の明るさを隠しきれずピースサインを突き出している。僕にとって残り少ない、真実にとって輝き盛りの「美しい瞬間」だ。
 この「美しい瞬間」をどうしたら維持できるのか。そのために今からの人生をどう歩んでいかなければならないのか、僕は考えてみる。
 だがどう考えてみても、何かが解決したり、何かから開放されたりすることなんてありえない。僕の人生って、そういうものだ。
 世界に目を向けてみる。イランとイラクは同じ民族同士で戦争を始める。インドではガンジー首相が暗殺される。大量の食糧が余っているにもかかわらず、日本を含む先進国の搾取によってアフリカの飢餓人口は増え続けるばかりだ。おまけに世界中では、枯渇寸前の化石燃料の代わりに、危険極まりない原子力発電所が次々と建設されている。
 世の中は次第にしかも確実に絶望的な状況に陥っている。おそらくそれを食い止めることは、坑内カナリヤ作家であるカート・ヴォネガットが言ったように、氷河を食い止めるくらいたやすい作業だろう。
 それでも何かに希望を見出し、健気に生きていくしか方法がない。この世で健全さを保つことは至難の技だからだ。
 僕は、今からの人生を生きていくための希望を真実に見出そうと思う。消し損ねた夢の断片をつかむようなことだが、今は真実がいてこそ僕なのだ。
 そう、君を捜し求める必要はなかったのだ。いつも君は僕のそばにいて、僕を優しく見つめていたのだ。まるでピアノの調べのように。まるで親切な人々のように。
 密やかではあるが、僕はいとおしく力強く君にこう言ってみたい気がする。
 僕は君を守ってあげたい。
 
                                                     (文、坂本亮・1988)
 



引用した映画

「スケアクロウ」(監督:ジェリー・シャッツバーグ)
      アメリカ映画 1973年製作 原題:Scarecrow
      カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。

      メーカー:ワーナー・ホーム・ビデオ
      メディア:DVD


超おススメ ソウル・バラード
ONE WAY FEAT. AL HUDSON /So Afraid It's Over


BAND OF GOLD/LOVE SONGS ARE BACK AGAIN (1984年ヒット曲)



引用したヒット曲
















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posted by マンハッタン坂本 at 00:00 | Comment(0) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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