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2011年11月01日

カーネーションは、簡単にしおれへん。

Red Carnation
Red Carnation / ShutterBugChef


カーネーションは、簡単にしおれへん。
introducing 「下妻物語」

親族に洋服の仕立て屋がいて、VANに勤める従姉からロゴ付きのノートをもらっても、何?て感じだった僕が初めてファッション・デザイナーに興味を持ったのは、山本寛斎だった。

高下駄のようなハイヒールを履き、奇抜ないでたちで現れ、成人の日のイベントでスピーチをした。彼が日本人として初めてロンドンでショーを開催した直後である。
不良だった少年時代から始まり、父親のもとで縫製の仕事を身につけ、コシノジュンコのもとでデザイナー修行をし、独立するまでの話を異常なテンションで語った。
当時高校2年生だった僕は、やたら前向きな言葉に励まされた記憶がある。

それから40年が経ち、山本寛斎は67歳になった。今でも前向きで元気だ。

「カーネーションは、簡単にしおれへん。カビ生えるまで咲いてる」

尾野真千子扮する糸子がついにタイトルの由来となるセリフをはいた。

ハイホー、マンハッタン坂本です。


カーネーション.jpg
   (注釈1)


大阪・岸和田の呉服屋の長女である16歳の小篠綾子が初めて股引屋でミシンと出会った頃、熊本・植木の米屋の次女である松浦(旧姓・園川)シズエはまだ7歳のおてんばだった。周りと著しく違うのは、母かほりが縫ったワンピースやセーターを着て小学校に通ったことである。

シズエが洋裁と出会うのは昭和9年(1934年)である。県立山鹿高等女学校に進み、被服の時間に兵隊のシャツを縫う授業だった。難しいボタンの穴かがりをあっという間に周りのみんなに手ほどきをする腕前となる。
ちょうどその年、綾子はコシノ洋装店を開業する。

昭和13年(1938年)、両親の反対を押し切って上京したシズエは、五反田の東京洋裁技芸学院に入学する。そのときアメリカ製のミシンに一目惚れし、ミシン刺繍科に籍を置く。
結婚した綾子は、長女のヒロコを生んだばかりだった。

刺繍科を6ヶ月でスピード修了し、洋裁科で紳士服の仕立ての基礎と応用を完全に習得したシズエは、昭和15年に卒業する。大阪・心斎橋の高級ブティックに就職するが、父親が病に倒れ、帰郷する。寺子屋のような洋裁塾と服の仕立て直しで生計を立て、やがて結婚し満州に渡る。

昭和20年、終戦を迎える。未亡人となった綾子は3人の娘を食べさせていくため、昼夜もなく洋装店の仕事に励む。
引き揚げの途中、シズエは中国人から注文を受けた洋裁の代金で食いつなぎ、帰郷する。
実家で始めた洋裁教習所を山鹿に移し、松浦洋裁技芸学院を開校する。さらに「松浦服装学院」に校名を変え、授業料を取りつつ工賃も払う“産学一体”の精神で生徒数を増やす。

のちに小篠綾子のもとを巣立った娘たちは、世界的なファッションデザイナー、コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコとして成功をおさめる。
3姉妹は92歳で亡くなった母親を述懐する――「お母ちゃんに背中しか見せてもらってない」
シズエの子供二人も、日曜もなく夜遅くまで働く母親にかまってもらえなかった。コシノ3姉妹と同じ感慨をもったにちがいない。

松浦シズエが生み出したものは、世界的なファッション・ブランドではない。その代わり、アパレル産業界の発展に貢献できる人材を育成する「ラ・ルース学園松浦服装学院」、「ファッション甲子園」で優勝を果たした服飾デザイン・コースのある「学校法人松浦学園城北高校」、西日本屈指の高級婦人服縫製工場を持つ「株式会社ラ・モード」である。
今年89歳を迎えたシズエは、生涯現役で有能な人材育成にあたっている。
   (注釈2)


シネワンらしく、「岸和田の肝っ玉母ちゃん」と「肥後の猛婦」とをリンクさせたカーネーション(?)人生を点描してみた。
前述の通り、大正生まれの小篠綾子さんと松浦シズエさんとは、いくつか共通点がある。特にミシンとの出会いは、彼女たちの人生で重要なターニング・ポイントになったようだ。
もう一つ、シネワンにとって重要な共通点がある。二人の逞しい一代記がまだ映画化されていない。

2007 03 17 Roses-7
2007 03 17 Roses-7 / Keith Laverack



高1の夏、大阪・梅田でBABY,THE STARS SHINE BRIGHTのお洋服に出会って以来、ロリータ・ファッションに身を包んだ竜ヶ崎桃子(深田恭子)が茨城県下妻の田園地帯を闊歩する。幸せならいいじゃん、気持よければOKじゃん、酸いも甘いも噛み分けた経験豊富なレディなんて最低!のロココ精神をマイペースで実践している。

稼ぎのないダメ親父(宮迫博之)のお陰でBABYのお洋服を買えない桃子は、親父が商売に使ったバッタものの販売を始める。ベルサーチにつられて原チャリで自宅にやってきたのが同じ17歳のヤンキー娘イチゴ(土屋アンナ)である。

暴走族「舗爾威帝劉(ポニーテール)」に属する彼女は、尊敬する亜樹美の引退パレードのためにエンマの刺繍を特攻服に入れたいという。
桃子は、伝説の刺繍屋を捜すついでに代官山にあるBABYのショップへ行く。そこで神様と崇めるデザイナーの磯部(岡田義徳)と出会い失神する。ボンネットの虫食い隠しに施した刺繍を褒められ夢うつつになる。

「お洋服はさ、私の先生。私に、生き方を教えてくれるの。お前はまだまだこの服を着るには修業が足りないとか、あなたはこの服が似合う人間だと思ってるけど、あなたに本当に似合うのは、全然違う、こんな服だよとか」

結局その刺繍屋の代わりに、桃子はイチゴの特攻服を受け取る。2日3晩不眠不休で縫い上げる。
素晴らしい出来にイチゴが大喜びした途端、深い眠りに落ちる。

磯部から連絡があり、サンプルのワンピースに薔薇の刺繍をして欲しいと頼まれる。君じゃなきゃダメなんですとおだてられ、その気になる。
何とか刺繍は完成する。だが暴走族のケジメをつけに行ったイチゴのもとへ、祖母のホンダDJ−1Rにまたがり飛び出して行く。

翌日、花柄のバンドエイドを顔中に貼った桃子が作品を絶賛される。高校を卒業したら就職しないかと誘われる。だがロココ時代のおフランスに生まれたかった桃子は、ロリータ街道爆走を続ける。
   (注釈3)
挿入歌「She Said」(歌:及川リン)



「洋服を作る者は、着る方の気持をきちんと知っておかなければならない」

ドラマの中で、財前直見扮する根岸先生はそう教えている。


着る方にしても、それなりの覚悟が必要だ。
どんな趣味にしろ、「下妻物語」の桃子の服を着る姿勢は正しい。
例えば、誰が見ても自分に似合わない服があり、それをどうしても着たいのなら、その服が似合うような自分になるべきだ。
そう僕は思う。


理由があって、カーネーションの画像を2種類掲載した。カーネーションがナデシコ科の多年草であるからだ。
1本の凜と伸びたカーネーションは、朝ドラの主人公の逞しい生き方を象徴している。
花瓶に差したいろんな種類のカーネーションは、岸和田だけでなく日本中にカーネーションのような生き方をする女性がいることを象徴している。
そして言わずと知れた「なでしこジャパン」もそれに含まれる。

「苦しいときは、私の背中を見て」

キャプテン澤穂希選手がチームメイトにかける言葉として有名である。
軽々しく言えるセリフではない。


「なでしこジャパン」紫綬褒章受章、おめでとうございます。



注釈1、「カーネーション」(TVドラマ)
      NHK・TVドラマ 2011年10月〜2012年3月放映



      メーカー:東映ビデオ
      メディア:DVD

注釈2、「コシノ洋装店ものがたり」(著者:小篠綾子)
      初版:2011年

      出版社:講談社
      メディア:文庫本

注釈3、「下妻物語」(監督、脚本:中島哲也)
   日本映画 2004年製作 英題:Kamikaze Girls
   原作:嶽本野ばら 音楽:菅野よう子
   ヨコハマ映画祭作品賞、監督賞、主演女優賞、助演女優賞受賞
   キネマ旬報ベストテン新人女優賞(土屋アンナ)受賞

   メーカー:東宝
   メディア:Blu―ray


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posted by マンハッタン坂本 at 01:00 | Comment(0) | 映画全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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